学習科学における文化とはなにか 「この子らしさ」を見失わないために

教室で、「あの子、なんだか話し合いが苦手そうだな」「この子は、やる気がないわけじゃないのに集中しづらそうだな」と感じたことはありませんか? どんなに教材研究をしても、ていねいに説明しても、なぜか学びがうまくいかない。そんなとき、私たちは「子ども側の問題かな」と思ってしまいがちです。でも、もしかすると、子どもを取り巻く「文化」のことが見落とされているのかもしれません。

学習科学(Learning Sciences)は、学びのしくみを多角的にとらえる学問です。学校での授業だけでなく、家庭や地域、友だちとのやりとりなど、“生活のなかの学び”全体を対象にしています(Sawyer, 2018)。その中でとても重要な観点のひとつが、「学びは文化や文脈と切り離せない」という考え方です。子どもは、家庭や地域、育った環境のなかで自然に「学び方」や「考え方」の型を身につけていきます。つまり、子どもがどんなふうに学ぶのかは、その子が過ごしてきた文化と深くつながっているのです(Nasir et al., 2006)。

文化と聞くと、外国の習慣や伝統行事といった「特別なもの」を思い浮かべるかもしれません。でも、学習科学における文化とは、もっと身近な、私たちの暮らしのなかで当たり前になっている「ものの見方」や「ふるまいのパターン」を指しています。たとえば、「分からないことはまず自分で調べてみよう」と育てられた子と、「分からなかったらすぐに人に聞いてみよう」と言われて育った子では、学び方そのものがまるで違います。何をどう学ぶかにまで文化は影響を与えているのです(Cole & Packer, 2005)。

この文化の力は、学校現場にも色濃く表れます。たとえば、教室には教室なりの“空気”があります。「発言は手を挙げてから」「正解が出せる子ができる子」「静かにしているのがよい子」などなど。こうした雰囲気は明文化されていなくても、多くの子どもたちはそれを敏感に感じとっています。でも、その“空気”がしんどくなる子もいます。じっと座っているより体を動かしたい子、静かに考えていたい子、人前で話すのが苦手な子。そうした子たちが、「やる気がない」「聞いていない」「理解していない」と誤解されてしまうこともあります。

学習科学では、学びを「頭の中で知識を増やすこと」とはとらえません。むしろ、学びとは、誰かと一緒に行動しながら、文化的な実践に参加していくプロセスだと考えます。レイヴとウェンガーは「正統的周辺参加」という言葉でそれを説明しました。新しくその世界に入る人が、最初は「まわり」に参加しながら、少しずつ経験を重ねて「まんなか」のメンバーになっていく。その過程こそが学びなのです(Lave & Wenger, 1991)。

この視点で見ると、子どもたちが教室のなかでどう関わっているかが違って見えてきます。たとえば、意見を言えなかった子が、ノートに小さなメモを書いていたら、それは周辺参加のサインかもしれません。学級活動で発言せずとも、友だちの声にうなずいていることも、その子なりの参加かもしれません。学びは「中心」にいなければいけないのではなく、むしろ「まわり」からゆっくり育っていけるような環境こそが大切なのです。

さらに文化は、子どもの発達そのものにも影響を与えます。たとえば、アフリカのある地域では、赤ちゃんの手足を日常的にマッサージしたり、早くから運動を促す習慣があり、歩き出す時期が欧米よりも早いことがわかっています(Karasik et al., 2010)。また、アメリカの親は創造性を重視し、「型を破る」ことに価値を見出すのに対し、バヌアツの親は「正確に模倣すること」が知性の証だと考える傾向があるという研究もあります(Clegg et al., 2017)。

つまり、どんな子どもに育つかは、持って生まれた資質だけではなく、関わる大人のまなざしや、文化的な期待によって大きく形づくられているのです。教室で出会う子どもたちのふるまいを見たとき、「なぜこの子はこうなんだろう?」と考えるとき、そこにはその子が属してきた文化があるかもしれない。そう思うだけでも、私たち教師の見方は変わります。

教師にできることは、子どもの背景に想像力をもつことです。家庭の文化、地域の文化、そして教室の中の「当たり前」までを問い直す力です。ある子にとって当たり前だったことが、教室では通じない。ある子にとって居心地のよい空間が、別の子にとっては窮屈かもしれない。そうした違いに気づき、教室の中に「多様な学び方があっていいんだ」という文化をつくることが、子どもたちの可能性を開いていくのだと思います。

文化は変えられます。そして、文化を変えていくのは、毎日のちょっとした問いかけや対話、まなざしの重ねです。子どもの学びに違和感を覚えたときこそ、その背景にある文化に目を向けてみる──。それはきっと、目の前の子どもにとっての「本当の学び」を支える第一歩になるはずです。

LAFT中動態スピンオフ 矢野さんとの対話 カエルがいたらゆでるでしょ!? 主体性の揺れを考える

先日『子どもの遊びを考える』の提案章を執筆した矢野勇樹さんと、LAFTメンバーの内輪でオンライン対話を行った。気軽にさまざまな話ができる貴重な時間だった。

矢野さん自身は現在、教育理論や実践の場には関わっていないようだが、当時のことを振り返りながら丁寧に語ってくれた。その穏やかな語り口の中には鋭い視点が光っていた。

「カエルがいたらゆでるでしょ?」 遊びの主体性と中動態

対話の中で印象的だったのが、「カエルがいたらゆでるでしょ。子どもは」というエピソードである。

「能動/受動」の枠組みでは捉えきれない「遊び」という行為。遊びとはそもそも、誰かに「遊ばされる」ものではなく、内側から沸き起こるものだと中動態を援用して、矢野さんは提起している。この視点から、遊びは「能動/中動」の枠組みでこそ記述されるべきだと指摘している。

プレーパーク冒険遊び場の話も興味深かった。子どもたちは「よーし、今日はカエルを捕まえるぞ! そして火を起こすぞ! よし、ゆでてみよう!」と事前に計画して遊び場に集まるわけではない。その場にカエルがいたら、ふと「ゆでてみよう」とひらめいてしまう。こうした「内側からのひらめき」を矢野さんは主体性ではないかと呼んでいた。

僕自身も子どもの頃、駄菓子屋で爆竹を買い、公園で友達と遊んでいた記憶がある。水辺には小さなカエルがいて、目の前に爆竹があると「試してみよう」とひらめいてしまう。今となっては考えられないが、あの頃の僕もまた、確かに僕だった。こうした衝動やひらめきは、主体性のどのような側面に関わるのだろうか。

主体性Aと主体性B 子どもの成長におけるせめぎ合い

この話を聞いて、僕が思い出したのは大妻女子大学の久保健太さんが提唱する「主体性A」と「主体性B」の違いだ。

  • 主体性A:「やりたい」「やりたくない」「なんかいい」「なんかやだ」といった直感的な感覚が自然に生じることで、「生きている実感」に満たされる。理由や論理を必要とせず、ただ感じることそのものに価値がある。
  • 主体性B:主体性Aによって湧き出た感覚や感情を整理し、それに基づいて「するかしないか」を決定する働き。これは思考や知性の関与を必要とする「行為主体性(agency)」であり、OECDが好む「主体性」の概念に近い。

この二つは対立するものではなく、連動しながら人が「主体であること」を生きるための重要なプロセスとなる。

子どもが成長する過程では、主体性Aと主体性Bがせめぎ合いながら発達していく。幼少期には主体性Aが強く、「やりたい」「やりたくない」という衝動が表に出ることが多い。しかし、成長とともに主体性Bが加わり、自分なりの判断基準や社会との関係性を踏まえた選択をするようになる。この発達は「ゆれ」として現れ、「自由にやりたい」という気持ちと「約束を守らなければならない」という意識の間で葛藤して子どもは成長していく。

また、主体性Bには「倫理的な感覚」も含まれている。「風邪をひくからやめなさい」と言われるのではなく、「寒いと感じたからやめる」というように、自分の身体の声を聞いて判断する。これは外部から押し付けられた道徳的規範ではなく、自らの内側から生まれる倫理のことである。

主体性を理解するために

こうして考えると、主体性は単に「自由に選択する力」ではなく、「内側から湧き出る感覚」と「それを整理しながら行為へとつなげる働き」の相互作用として捉えられるべきだろう。教育や保育の現場で主体性を表層的に捉えることなく、より深い理解につなげるためには、この二重の働きを意識することが重要になる。

このあたりについては、久保健太さんの『写真と動画でわかる!「主体性」から理解する子どもの発達』が詳しいので、参考にしたい。その思想的背景にジル・ドゥルーズ哲学があり、ここも面白いのでつい読み始めてしまう。

つまり、「やりたいからやる」という単純な話ではなく、やらないという選択にもまた、複雑な心理的な背景がある。この背景を「関係論」的に捉え、その子の内側にある物語を読み取ろうとしなければ、本当の意味で主体性を理解することはできないだろう。これは、教育の現場にいる僕たちにとって非常に大きな課題であり、責任でもある。ひー、しんどい。

LAFTラジオ 対話の場をつくる

今回の対話を通して、改めて「人と話すことの面白さ」を実感した。対話を通じて学びが整理され、思考が深まっていく。

こうした学びの場を、オンラインでも今後作っていきたいと考えている。名付けて「LAFTラジオ」。今年は、テーマに近しい人や著作者を招き、その人の考えをたっぷり聞きながら自由に対談する場をつくる予定。これからどんな対話が生まれるのか、楽しみだなぁ。

なんで今「学習科学」なのか

今期のLAFTのテーマは学習科学とした。テーマ本は『人はいかに学ぶのか』だが、その第一版である『授業を変える 認知心理学のさらなる挑戦』はすでに持っていた。本にはレシートが挟まっていて、よく見ると2011年の日付。ページにはいくつか線が引いてあったが、改めて読み直してみると、当時の自分の視点はずいぶんピントがずれているように感じてしまう。でも、ナイスチョイス。その選択が今につながっているのだから。

『人はいかに学ぶか』はその第二版にあたる。米国では2018年に出版され、それまでの約20年間の知見が集約されたものだ。それが4年を経て邦訳され、手に取ってはいたものの、知っているつもりで深く読み込まず、積ん読状態になっていた。

今回のLAFTでは、あのとき実現できなかった「効果的な学習のポイント」を活かしながら、よりよい授業をつくっていきたい。個人的には、「数学者の時間」における理論的背景や、学習科学を用いた授業実践をさらに深められたらと思っている。とはいえ、さっそく第一章に「理論を実践に移すには相当困難を極める」との論文が紹介されていて、早くも詰んだ(笑)。

学習科学といえば、2019年にジョン・ハッティの『教育効果を可視化する学習科学』をテーマ本として扱ったことがある。これは当時、日本でも話題となっていたエビデンスベースの実践研究で、振り返ってみると、これが「学習科学」への僕の入り口でもあった。

半年という時間をかけてじっくりと読み解くことで、エビデンスの扱いについても理解が深まった実感がある。あくまでもメタ分析であり、より効果的な実践を示唆してはいるが、それを目の前の子どもたちにどう援用するかは、やはり難しさを感じる部分でもあった。今回は、そうした量的な分析を越えて、質的な側面にも踏み込んでみたい。

当時のLAFTエビデンスは、第5回目がコロナの影響で実施できずに終わってしまった。翻訳者の原田信之さんからは、「LAFTでの取り組みや実践を学会で発表してはどうか」と勧めていただいたが、それも実現には至らなかった。

エビデンスを広く集めて分析する量的な研究の枠を超え、質的な教育的価値をどのように提示できるのか。「学習科学」研究では、それが可能なのだろうか。今回のLAFT学習科学での取り組みが、そのヒントを与えてくれることを期待している。

そもそも、なぜ今回のテーマを学習科学に決めたのか。それは、前回LAFTのテーマであった中動態からの流れにある。もし中動態に筋肉があるとするならば(ないけど)、僕の中では「上腕中動態筋」がパンプアップしている。それは子どもたちの姿を中動態的に捉えられるようになってきたということだ。実在論的な理解から関係論的な理解へと、自分の見方が変化してきた。

佐伯胖によれば、関係論とは、事物を説明する際に、その事物自体の構造や属性だけで説明するのではなく、事物がどのように見えるか、どのようなあり方をするかを、他の事物との関係性の中で捉える立場である。これらの関係が独自の状況を生み出し、人間の行為もまた、その状況に埋め込まれている。この関係論的な見方は「状況論的な見方」とも呼ばれる。ようやくこの状況に埋め込まれた学習について理解が及ぶようになってきた。

「関係論」的な見方では、行為を周囲との関係性の中で理解する。例えば、一人で遊ぶ子どもの行為には、仲間に入れてもらえなかった経験、保育者の関心を待つ姿勢、あるいは純粋に砂の感触を楽しむ意図など、さまざまな背景があり得るだろう。このように、行為は子どもを取り巻く状況や過去の出来事、周囲の関係によって意味づけられている。

一方で、「実体論」的な見方では、行為の原因を子どもの心の中に求めがちである。「○○したいから」「○○が嫌だから」といった内面の解釈を試みるが、行為の原因が本人の意図に基づくとは限らないのが実情だろう。むしろ、その時々の状況や関係性によって、そうせざるを得なかったケースも多い。原因を無理に特定しようとすると、誤解や誤った原因の捏造を生んでしまう危険性もある。このあたりは國分功一郎が説く責任の生成にも詳しいので参照にされたい。

関係論の視点では、行為には未知性が伴うと考え、説明のつかない行動を既知の枠組みに押し込めることを避けることができる。重要なことは、子どもを直接見るのではなく、子どもを通して周囲の状況を見て行為を理解すること。これにより、行為を関係性の中で捉えることが可能になれる。

中動態について学び続けてきたおかげで、こうした理解がすんなりと自分の中にインストールされた感覚がある。そして、この関係性の視点をベースに、社会構成主義を背景とする「学習科学」へと敷衍していくことが、今回のLAFTの狙いである。次への一歩というかんじだ。

LAFTでの学びとは、やってみないと分からないことばかりの連続である。学びの成果は、事後的にしか分からない。メンバーと共に読んで、考え、実践して、また読む――そうした積み重ねの中に学びが埋め込まれていたことに、後になって気づく。

そもそもLAFTは、当時、管理職に締め付けられていた若手教員が奮起し、中心に始めた学習サークルだった。「先生こそ学びを楽しまなければ、子どもたちが学びを楽しめるはずがない」という思いで始めた。それが続いていくうちに、お互いの苦労を語り合い、癒やし合う場にもなっていた。そのコンセプトは今も変わっていない。そして経験を重ねることで、今年で14年目となった。

今、僕はもう若手ではない。自分が学びたいと思っても、その学びの場を見つけることができなくなっている。若い人たちは自ら学びに飛び込んでいくが、中年の僕は、学びたいと思っても、なかなか場がない。ならば仕方ない。自分で作るしかない。そんな思いで、自分の思想や教育哲学を更新するつもりで、LAFTを続けている。

今回のLAFTには、いくつか新しい試みがある。前回のテーマ本『中動態の世界』は、読書体力の求められる本だった。一人では走りきれなかったからこそ、集団で語り合いながら読み進められたのはよかった。

今回取り上げる『人はいかに学ぶのか』は、教育界の大御所・秋田喜代美さんが翻訳・編著を手がけた一冊だ。もしかすると、直接こうした学習科学の背景について話を聞けるチャンスがあるかもしれないし、ないかもしれない。

この本も学術書だけに、一人で読みこなすのはなかなか大変だ。そこで、今回は単なるブッククラブではなく、各章を担当制にし、それぞれのサマリーをプレゼンしてもらおうと思う。というのも、僕自身が最近この方法で読書を進めていて、とても知識がつくられている実感をもてているからだ。読書プレゼンという形にすることで、理解がより深まるはずだ。

さらに、オンラインで「LAFTラジオ」も始めたいと考えている。この構想については、また改めて機会をもって詳しく報告したい。

いずれにしても、学びには時間をかけることが欠かせない。一朝一夕でペロッと新しい情報を取り入れたとしても、それが生きた知識として磨き上げられることはないなぁ。だからこそ、学習科学を通して、我々自身も「学ぶコツ」を学んでしまおう、というわけだ。

LAFT学習科学 〜人はいかに学ぶのか〜募集

LAFT新シーズン到来(http://laft.info/)!「学習科学」を学ぶ半年間へようこそ

みなさん、こんにちは。
2025年度の LAFT(Learning Association of Facilitative Teachers) が始まります! 
しかもオンライン参加があります。

今回のテーマは 「学習科学」。
学習科学とは、「教えること」と「学ぶこと」を科学的に研究する学問です。学校の授業にとどまらず、家庭や職場など日常のさまざまな場面での学びも対象としています。その目的は、より深く効果的に学ぶための条件を明らかにし、より良い学習環境をつくること。そのために 認知科学・教育心理学・計算機科学・社会学・神経科学など、さまざまな分野の知見を組み合わせて研究が進められています。学習科学は1991年に誕生し、現在も発展を続けています。
この機会に、一緒に「人はいかに学ぶのか」を深く考えてみませんか?

○今回の課題本
『人はいかに学ぶのか:授業を変える学習科学の新たな挑戦』
(全米科学・工学・医学アカデミー 編 / 秋田喜代美・一柳智紀 監修・翻訳 / 2024年4月12日 / 北大路書房)
★本書のサマリーは最後に掲載しています。これ読むだけでも学びたくなるはず!?

○開催日程 すべて 土曜日開催 です。
• 3月29日
• 4月19日(※この月のみ第3週目)
• 5月24日
• 6月28日
• 7月26日
★この期間中、「学習科学」における著者または先駆的実践者をお招きしてワークショップを企画しています。

○こんな方におすすめ!
• 効果的な教育方法・授業づくり・学習環境のデザインを学びたい方
• 脳の発達と学習の関係に興味がある方
• 文化や社会が学びに与える影響を知りたい方
• デジタル技術を活用した学習や生涯学習 に関心がある方
• 学ぶことを楽しめる仲間がほしい方
• 本をしっかり読み、考え、授業づくりに活かしたい方
• 焚き火して教育について語り合いたい方。

○学びのスタイル
• 課題本を読んで内容を報告(今回から読書プレゼンがはじまります。学ぶにはとても効果的です!)
• 参加者同士でブッククラブ
• 学んだことから授業づくり、実践し、結果を持ち寄って議論、そしてまだ理論へ

○参加費:無料(書籍代は自己負担) 差し入れ喜びます。

○対象:教員・教育関係者・教員志望の学生

○募集人数(3つの参加形態)
1. コアメンバー(読書+実践):先着 10名
2. オブザーバー(単発参加・議論のみ):先着 10名
3. オンライン参加(視聴のみ):若干名

参加希望の方は、コメントまたはメッセージでお知らせください。
オンライン参加を希望される方は、コメント欄の「こくちーず」よりお申し込みをお願いします。

「人はいかに学ぶのか?」この問いをじっくり探究する 半年間 です。単なる学習技法としてではなく、 人が学ぶとはどういうことか? を深く考え、1mmでも日本の教育をよくしていきませんか?ご参加をお待ちしています!

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『人はいかに学ぶのか:授業を変える学習科学の新たな挑戦』サマリーメモ

第2章 文化と学びのつながり
学習は、学習者が置かれた環境や背景によって大きく影響 される。そして、学習者同士が互いに関わり合いながら、 新しい知識をつくり上げていく。だからこそ、まずは一人 ひとりの文化や経験の違いを理解することが大切である。

第3章 学びのタイプと成長する脳
学習者は、周りの人との関わりや学習環境の影響を受けな がら、さまざまな学びを積み重ねていく。脳は一生を通じて発達し、学びが脳の成長を促し、脳の発達が学びを深めるという相互の関係がある。そのためには、継続的に脳を 刺激する機会が大切になる。

第4章 学びを支えるプロセスと記憶のしくみ
学習を効果的に進めるには、脳の働きをうまく調整することが大切である。そのためには、自分の学びを振り返り、 調整する力が必要であり、これは生涯にわたって成長でき る。記憶は学習の土台となるもので、思い出すためには 「手がかり」が必要になる。この手がかりの使い方が、知 識の整理や統合のしかたにも影響を与えている。

第5章 知識と考える力「推論」を育てる
これまでに学んだ知識は、新しい学びを助け、理解を深める役割を果たす。しかし、その一方で、 思い込み(認知バイアス)を生むこともあり、それを乗り越える意識的な努力が必要になる。
学習者は、知識をつなげながら広げることで、物事を分類したり、共通点を見つけたり、問題を解 決したりできるようになる。そのためには、効果的な学習方法が重要だ。例えば、情報を整理しやすくする工夫、学んだ内容を要約すること、学習の間隔をあけることなどが、知識の定着を助ける。
学びが深まると、異なる場面でも活用できるようになる。しかし、学習の成果は、すでに持っている知識や教材の内容、学習の目的によって左右されるため、どう学びの場をデザインするかが重要 になる。

第6章 学びのやる気を引き出す
学習への意欲は、環境や状況の影響を受けながら、個人が 自分で設定する目標によって大きく変わる。自分が学びの 場に受け入れられていると感じ、主体的に学べる環境があ れば、やる気は高まりやすい。
教育者は、学習の目標を明確にし、学ぶことに価値を感じ られるような経験を提供することが大切である。学習者が 自分で学びを進められるよう支援し、振り返る機会をつく ることで、学び続ける力が育つ。また、安心して学べる雰 囲気や、困難に対して粘り強く取り組める姿勢を育てるこ とも、学習への意欲を高めるポイントになる。

第7章 学校での学びを深めるために
学習を効果的にするには、学習者が持っている知識や経験、興味、言語や認知のスキル、そして教師 自身の経験や文化的背景を理解することが大切である。また、学習環境の文化的・社会的・認知的・ 感情的な特性を考えることで、より良い指導ができるようになる。
学びを深めるためには、子ども自身が学びの方向を決めることが有効。そのために、適切なフィード バックを行い、意味のある目標を設定し、それを支援することが重要である。また、学校での学びと 日常生活での学びをつなげるために、学びの良さを生かす教育モデルを取り入れることも効果的。
科学や歴史、数学などの各教科では、それぞれの目的を明確にしながら教えることが、学習者が深い 理解を得るために欠かせない。さらに、評価は学習を進めるための重要なツールであり、学習者が学びを振り返り、その成長を支える手段となる。

第8章 学びを支えるデジタルテクノロジー
デジタルテクノロジーは、学習の目標や学習者一人ひとりの特性、学習環境、社会的・文化的背景を踏まえた上で活用することが大切である。適切に活用すれば、学びを深 め、子どもの主体的な学習を促進することができる。
しかし、導入には慎重な計画が必要。学習目標とテクノロ ジーが合っているかを確認し、教師の研修や子どもへのサ ポート、平等なアクセスを確保することが求められる。ま た、継続的に評価を行い、効果を検証しながら改善していくことが重要である。

第9章 生涯にわたる学び
人は一生を通じて学び、成長し続ける。これまでに学んだ ことは、新しい状況に応用できるかどうかに影響を与える。
義務教育を終えた後の学びは、本人のやる気や関心、学ぶ 機会の有無によって大きく左右されている。学習の機会を 広げ、誰もが学び続けられる環境を整えることが、生涯教 育や人材育成には欠かせない。

★★★以上 読みたくなったでしょ!(^^)/

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